経緯説明⑧~矛先を次々と変え、重箱の隅をつつきまくる検察
「国循サザン事件」の当事者・桑田さんが、そのときの実体験と真摯に向き合って、わかりやすくまとめられた文章です。
何回かに分けて、アップいたします。
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毎週3時間の取り調べが半年以上 関係者も容赦なく
2014年4月下旬になり,ようやく検察庁から呼び出しがありました。
担当は広瀬検事に変更となっていました。
私に接触してきたマスコミの記者によると,広瀬検事は,東大卒で,外務省に出向して海外の領事館でも勤務経験があるというエリート中のエリート,「大阪地検のホープ」との触れ込みでした。
私は,広瀬検事を見て,自分が何度も挫折を経験し,もちろんエリートでもなく,ただ,与えられた使命を全うした末に今の地位に就いたこと,そして,まさに今,理不尽にもそこから退場を命ぜられようとしていること,そしてこれから,被疑者として,彼の土俵で,頭脳も,パワーも圧倒的に上を行く検察官に対して孤軍奮闘しなければならないこと,などを思い描いていました。私は,
「同じ人間なのに,えらい違いやな」
と心の中でずっと思っていました。
ただ,その時点で,私は,大阪弁護士会の高見秀一弁護士に弁護人をお願いしていました。
ですので,正確には,高見弁護士に励まされながら,検察と対峙する日が続いたのでした。
広瀬検事の取り調べは,その後,私が逮捕された2014年11月の直前まで,週1~2回,各3時間ほどのペースで進みました。
私だけでなく,検察は関係者を次々と呼びつけ(ときには被疑者扱いされた人物もいました),莫大な労力をかけて延々と事情聴取を続けていました。
この間に,検察の当初の「ストーリー」はもろくも崩れ去りました。
そもそも,そのような事実がないのですから,当たり前です。
しかし,2014年2月にはマスコミ報道もなされ,多くの人が知るところとなった本事件について,いまさら検察が「最初の見立ては間違いでした」と認めるわけがありません。
広瀬検事の取り調べ内容から,私は,検察は矛先を次々と変えて重箱の隅をつつきまわり,なんとか私の不正行為を探し当てようとしている,と感じていました。
続きはこちら 経緯説明⑨〜逮捕・勾留で見えたもの。検察はただただ意固地
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