ニュースや報道は何を伝えているのか自分で考える

国循官製談合事件において、無実の罪に問われている桑田さんを支援する会のNです。

支援する会として動き出すまでの私は、ニュースで様々な事件を見ても「へ〜そうなんだ〜」と思うくらい。

ニュースの内容を絶対正しいと思うことはないにしても、

まぁニュースで言うならそうなんだろう、

というくらいで、そこまで深く考えることはありませんでした。

これは一般的に「公に言っていることなんだから」とか「新聞やテレビのニュースで伝えることなんだから」という、メディアに対する信頼とでも言うのか、長年植え付けられてきたものというのか・・・なんでしょうか。

しかし、支援する会として動くようになり、今回の事件に関して色々なところにあがっているニュースの記事を見直すことがあります。

そして実際に公判を傍聴するなどしていると「公表されている情報」に対して、疑問が湧いてくることも多くなりました。

初公判後にも書きましたが、例えばこんなこと。

国循官製談合事件 第1回公判速報 – 国循サザン事件―0.1%の真実―国循官製談合事件 第1回公判速報

一つの物事に対して、どの立場から見るのか?誰が見るのか?何を問題にしようとしているのか?これらが違うと、全く違ってくるということです。

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「ニュースを疑え!」自分の目で見て考える

近頃では、どんな事件であっても「今報道されているのはどういうことなのか?」を考えるようになりました。

なんとなく文面や伝える人のニュアンスに流されて「そうなんだ〜」と思うのではなく、今回の問題はどこにあるのか?を考えていくクセをつけるということでしょうか。

犯人とされる人のことを伝えるにしても

普段から無口で表情が乏しく何を考えているのかわからない

というのと

口数は少ないが感情的になって人を攻撃するような人ではない

前者なら「何を考えているのかわからない」という所から「だから事件を起こしてもおかしくない」と導かれがちなのに対して、後者は「人を攻撃するような人ではない」という所から「そんなことをやるはずがない」と導かれがちです。

国循サザン事件のニュースを遡ってみても、桑田さんについて、同僚からの発言として「真面目で研究熱心」という人がいる一方で「誰にも相談せず決めるワンマンな人」という人もいると報じられています。

もちろん同じ職場の中でも、特に親しくしていた人と、個人的に合わない人だなと思っている人とでは、その人に対する感じ方、捉え方も変わってくるでしょう。

ですから、ニュースの中の同僚発言にしても、どちらも正しいのかもしれません。

これらを考える中で、次のことを思い出しました。

桑田さんがご自身のブログで「我が心のバイブル」とする『取調べを受ける心がまえ』*1の作者の一人、岐阜弁護士会の美和勇夫弁護士の「弁護士日記*2にある、

(裁判所は)どちらが正しいか(真実か)を決めるのではなくて、「どちらがよりマシなことを言っているか」という判決を下すだけです

という一節。

考えればわかりそうな物ですが、なんとなく裁判官は「正しく成敗してくれる」というイメージがありませんか?

確かに多くのことを学び、難関の試験に合格してその職にあるわけですから、様々なことから判断できる人であることは確かでしょう。

しかし、裁判官も人です。

そして取材するマスコミ記者も、ニュースで報道する人も、みんな「人」なんですよね。

そこには感情もあり、自分の考えもある。

もちろんプロですから、そこも含めて公平な立場で客観的に伝えることは大前提です。

それでも、自分の考えや立場、周囲の同調圧力などを無にして全てを判断していくことは不可能に近いでしょう。

一方で、検察官はこのような状況を利用して、自分たちに都合のよい捜査情報だけをマスコミにリークして世論の印象操作をする(検察用語で「風を吹かす」というそうです)し、法廷でも、被告人がいかに悪いことをしているか、と思わせる発言しかしない。そうやって、検察官は、裁判官に「被告人は信頼できない」「自分達こそ正義の代弁者だ」という印象を植え付けようとしているのではないでしょうか。

だからこそ「ニュースを疑い、自分の目で見て考える」ということを大切にしていきたいと思うのです。

次回第3回の公判は6月1日(水)13時10分〜大阪地裁です。

ぜひ「自分の目で見て考える」機会にしてください。

桑田さんご自身で綴るブログはこちらから

誰か知る松柏後凋の心sc.shig.org

*1:http://shin-yu-lawoffice.com/miwa-akitanote.pdf

*2:①弁護士日記より 「裁判とはどういうものか?」(裁判は真実を見極めてくれるものではありません)