動画配信【国循官製談合事件の解説】桑田さん解説その18

国循サザン事件-0.1%の真実-無罪を訴える桑田成規さんを支援する会です。

これまでこちらのブログで公判の傍聴録や、桑田さんご自身の解説などを公開してまいりましたが、2018年3月に予定されております判決まで、動画配信も併せて行うことにいたしました。

支援する会からご質問をさせていただき、桑田さんご自身に経緯や解説、桑田さんのみが知る真実などを語っていただきます。

今回桑田さんが逮捕・起訴されることになった事件について、みなさまにも「真実はどこにあるのか」を考えていただき、引き続きご支援をお願いできればと思います。

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国循官製談合事件(国循サザン事件)解説その18


国循官製談合事件(国循サザン事件)解説その18

以下に記事全文を掲載いたします

赤川》2016年の4月に初公判があってから、先日2017年の12月で結審を迎えて、その最後の時には最終の意見陳述として桑田さんも色々述べられたんですけれども、その中で、誰しもそうかもしれませんけれども、初めて被告人という立場を経験された中で、色々と思われることがあったと思うんですけれども、そのへんについてお聞かせいただければと思います。

桑田》はい。まず被告人という立場になって驚いたことというのは、裁判所の考え方というか、司法の場においていったいどういうことが起こったのかという事実を認定するということをされるわけですけれども、その事実認定のやり方というのがちょっと常識とは違うのではないか、離れてるんじゃないかな、ということなんですね。

私は科学者として、科学の教育の中で受けてきた事実の考え方、何をもってこれは正しい/これは違う、という判断をするやり方というのが、科学の世界でのやり方というのがあるんですけども、それと裁判所の事実認定はずいぶん違うなというところなんですね。

ですので、私どもが考える、これは事実だろう、さすがにこういうことからこういうことが言える/言えない論理の飛躍があるとか、というところについて、裁判所はそうではない、そういう考え方で判断してるんではない、ということを知ったというのが大きなところですね。

赤川》一般の常識というか、一般的にはドラマで見るようなところしか見てないわけで、はっきりした証拠が出てくるとか、何かモノがあるとかっていうようなことで、決まると思っています。けれども、傍聴していて、こうであるからこうに違いない、という非常に曖昧なことをもってして、それでも起訴されるとほとんどの場合は有罪になってしまうということになるなかで、事実の認定の仕方ですよね。その人しかわからないことでも、ああだこうだという言い方でやっていくわけですけれども、その事実認定についても、思うことがあるということで意見されたと思うんですけれども。

桑田》そうですね。かなり危ういところがあるのではないかと。つまり事実認定を誤れば、すなわちそれは冤罪につながる可能性があるんですね。それまで私がその体験するまでは、もう少し理路整然と、きちんとしたルールに基づいて事実認定をやってるのではないかなと思っていたんです。それこそ、さきほどおっしゃったドラマで出てくるような、明々白々な事実というものが元になって、事実です、というようなことかなと思っていたのですが、そうではないですね。なので、そこに曖昧さというか危うさがある以上、単なるヒューマンエラーではすまされない、認定の際の誤りというのが出てくるだろうと思いました。

具体的には、裁判所は推論という過程を経て事実認定をするわけなんです。ある事実があって、その事実から言えることは何かというようなことです。たとえば殺人事件で言うと非常に分かりやすいんですけども、現場に ナイフが落ちていて血液がついていたとします。で、ナイフにも指紋が残っていて、その指紋が被告人のものであって、ナイフについた血液がその被害者のものであったということになれば、それは被告人が罪を犯したという推論ができるという、そういう過程のことです。ある事実から何を言うかという。

問題は、それを繰り返していくということなんです。それが非常に危ういと。そもそも、ある前提事実があったかどうかということすら推論なんですよね。それが例えばカメラで写っているとか、ビデオカメラに残ってるということであればそれは別ですけども、たいていの場合は伝聞であったりとか、何か別の書類であったりとか、あるいは普通こうだったらこうですよね、ぐらいの話でまず一つのAという事実が決まって、それを元にさらにそこから何が言えるか、というふうに、そういう考え方を取ってるようなことがあるみたいなんです。

そもそも、元になる事実Aにあやふやな点があるのに、いったんそれを事実だと認めてしまえば、それがもう100%事実であるかのような形で次の推論に移っていく。つまり推論を重ねていくということが問題なんです。

自然科学の世界はそれをすると誤りがどんどん大きくなっていくということで、多重の推定というんですけど、そういうことしない。したとしても、それは分かった上で、最終的な判断するんです。

ところが裁判では、ある証拠があって、これ(A)がいえるね、と。じゃあこれ(A)からはこれ(B)がいえる、これ(B)からはこれ(C)がいえるというんですね。このようなやり方をどんどん、どんどん積み重ねていくと、実は、大元の(A)のところからしてあやふやなところがあるというところが全く見逃されてしまう。結果として、最終判断を誤ってしまうと。そういう構造上の問題があるのではないかなという気がしました。

だから、そこがひとつ 裁判官へのお願いとして、気をつけていただきたいと。

検察官の今回の主張は、さっき赤川さんがおっしゃったとおり、こういうことだからこうに違いないというのが、もう何回も出てくるんですね。逆にこう(A)だったらこう(B)に違いないけど、これ(B)をやってないんだから元の(A)は違うんだとかですね。このような推定を重ねて行っているので、どうかそれには騙されないでほしい、ということなんですね。きちんとそれぞれの事実の「確からしさ」というの見極めて、トータルとしてどうなのかということをきちんと判断してほしい。それを事実認定としてほしい、というふうに意見として言わせていただきました。

赤川》確かに、先ほどの例に上がった殺人でも、刺したところを見ていなくても、そういう証拠が出てきて、血液型とか指紋が一致したということになれば、こうだろうということができる。

桑田さんの場合でいうと、机の上に体制表が置いてあったかどうか。その現場を見た人が誰もいないにもかかわらず、検察は、そもそも置いてあったのか、元々置いてなかったんじゃないのか、ということになっていて。事の大きい小さいではなくて、そうやって推論の繰り返し行われていることの危うさというのは、いろんな事件においてもあるって考えられるでしょうね。

桑田》はい。体制表の書類を机の上に置いたかどうかということに関しては、検察は、それは誰も置いてないだろうと言うんです、言いたいんです。なぜかというと、検察の主張では、その書類はNECの入札書類を私がダンテックに横流ししたということになるわけだから、誰か別の人がそこに置いたとなると話が変わってしまうわけです。

そうすると、検察は、本当に誰かが入札の書類をそこに置いたんだったら、当然こういうことがあるだろう、ということを言ってくるわけです。

公判で言われたのは、例えば、置いてあった書類を、もし私が朝出勤してきて見たとしたら、それは誰から来たものか確認をするはずだろうと。だから、その書類を頼んでいた事務の方に電話で確認したのかと。しなかったんだったら、そんな書類は置いてなかったんじゃないのかと。つまり書類があれば確認をするはずだっていう、そこの推論があるわけですね。そういうのがそもそも成り立つかどうかということが疑問ですが。

それと、検察は、何のメモもなしに書類が置いてあったというがおかしいと。メモがあったかどうかは、私には記憶にないので公判では何も供述していないんですけども、検察はメモがあるはずだと。そんな重要な書類をメモもなしにポンと机の上にに置いておくはずがない、というんですね。それも推論が入っていて、そもそもそれが重要な書類かどうかというところですよね。入札の書類は確かに重要ですけれども、そこから抜き出した体制表だけを評価したときに、果たしてそれだけで重要なものなのかどうか、机の上に置いておかしいものかどうか、という判断をまったく抜きにしてしまっているんですね。検察は、それが重要なものあって、メモもついていなくて、僕が確認もしてないと。だったら元からそんな書類があったはずがない、というのが彼らの論理です。

けれども、それは全て推論であって、それが全て正しいときに成り立つ、正解であるわけですね。けれども、それは「確からしさ」という面では非常に低いものだろうと私は思います。だから、そういうふうに推論を重ねて何か事実を確定しようとするのは、非常に危険な行為と言いたかったのです。

動画配信の公開を繰上げ、2018年1月21日(日)にその20までの公開予定です。

動画は以下の再生リストで最初からご覧いただくことも可能です。

www.youtube.com

※判決は2018年3月16日(金)9時45分〜大阪地裁の予定です。

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桑田さんを支援する会では、桑田さんの冤罪をはらすべく動いています。

公判を傍聴するたびに、0.1%を証明する真実が見えてきます。

ぜひご一緒に、その真実を確かめてください。