『国循サザン事件』の経緯説明(2016/05/24公判後公開版v4)

 

桑田成規

 

(本文書の位置づけ)この文書は,現在,私が置かれている状況と,公判で表明した私の見解を正確に理解していただくことを目的として,私を支援してくださる方々にお渡しするものです。

 

はじめに

 

2014年2月上旬の午前9時,私は,いつものように職場の執務室で仕事をしていました。

 

そこに,PHS(内線電話)で山本総務部長から電話がありました。

「桑田先生,いまからすぐに○○会議室に来てもらえませんか。」

 

当時の私は,国立循環器病研究センター(以下,国循<こくじゅん>といいます)で情報システムの企画・運営・管理を担当する情報統括部という部署の部長職にありました。国循は,現在日本に6つある国立高度専門医療研究センター(ナショナル・センター)の一つで,その名が示すとおり,循環器疾患(心疾患・脳疾患)に関する高度な医療を提供し,かつその研究を行うために国が設置した施設です。かつては,厚生労働省の内部組織でしたが,2010年に独立行政法人,さらに2015年には研究開発法人となり,現在に至っています。

 

総務部長からの突然の呼び出しに,私は嫌な予感がしました。私は,医師ではありませんが,国循では病院の診療部長と同じような「現場の責任者」の立場であり,私の直接の上司は病院長でした。よって,国循の組織運営に直接携わる管理部門のトップである山本総務部長の指示・命令を受ける立場にありませんし,普段の業務で山本総務部長と接触することもほとんどありませんでした。なので,突然,朝一番に彼から私に呼び出しがかかるということ自体,とても不自然で,「なにかが起こったのだな」と思わせるものがありました。

 

「今,すぐに,ということでしょうか?」

と私は山本総務部長にたずねました。

「はい,だれにも言わずに,すぐ来て下さい。」

と彼がいいましたので,私は,その場で,10分後に予定されていた部内会議を中止する,と部下に伝えて,すぐに部屋を出ました。

 

指定の場所に向かう間,私は,「おそらく情報漏洩の事故がまた起こったのだろう」と考えていました。というのも,その数ヶ月前に,国循では,退職した医師が国循の診療データを持ち出し,紛失したという事故があったばかりだったからです。

 

山本総務部長は,指定された会議室の前の廊下で待っていました。私が挨拶し,用件を聞こうとすると,彼はそれをさえぎり,私にささやくような声で,

「検察が来てるんですよ。皆さん待っておられるので,この部屋に入って下さい」

と言いました。

 

ドアを開けて私が目にした光景は,異様なものでした。その会議室は20~30名ほどが収容できる部屋でしたが,普段置いてある机やイスは,1つを残してすべて端に寄せて片付けられ,眼鏡をかけたスーツ姿の男性が一人,残されたイスの傍に立ち,その後ろに,これまたスーツ姿の男女が十数名並んで,私を睨んでいるのです。

 

私は,眼鏡の男性に,イスに座るよう促されました。彼は,自分が大阪地検特捜部の者であると名乗り,私の名前を確認した後,

「あなたに官製談合防止法違反の容疑がかかっています。裁判所から令状が出ています。所持品を押収しますので,いいですか。」

と言いました。令状として示されたのは一枚の紙で,私がよく読もうかと思ったとたん,すぐに引っ込められました。気が動転していた私は,令状の内容も確かめる暇もなく,わかりました,と言いました。

 

「では,これからわれわれとともに,検察庁に来ていただきます。総務部長の許可もいただいています。いいですね。」

 

今思えば,私は山本総務部長の部下ではないので,彼の許可など関係ないのですが,検察は山本総務部長を実質的な責任者とみなして話を進めているようでした。私は,自分の身に何が起こったのかわからず,ただ呆然とするばかりで,わかりました,というのが精一杯でした。

 

その後,私は,スーツ姿の男性二人に両端を挟まれて,自分の執務室に戻りました。そこで,彼らは,私に,携帯電話や手帳などの私物のみを身につけ,仕事で使っているパソコンや書類は置いていくように指示しました。私が,当座の業務の段取りについて部下に指示しようとすると,男二人はさえぎって,話さないでください,といい,書面を渡そうとすると,確認させてもらいます,と間に入ってきました。ひととおり準備がすむと,私は,そのまま検察の用意したワゴン車に誘導され,後部座席に座るように指示されました。

 

はじめての取り調べ

 

国循は,大阪府吹田市の新興住宅地,千里ニュータウンの一角にあります。そこから車で大阪地方検察庁のある大阪市の中心部までは,車で30分ぐらいの距離があります。道中,私は車の後部座席の中央に乗り,両脇を先ほどの男達に固められていました。話を聞けば,その人たちは検察事務官で,これから検事に会いに行くとのことでした。道中は,私にかかっている容疑に関する話はまったくなく,普段何を食べている,とか,お酒は飲みに行くのか,といったような雑談をしていました。

 

大阪地検に着くと,検事の部屋に連れて行かれました。まずは所持品検査ということで,携帯電話,財布,鍵,カードケースや,かばんに入っていた書類を検察事務官が取り出し,ひとつひとつ机の上に並べて行きました。検察で証拠になりそうなもの―現金,カード類とかばん以外―はすべてその場で押収されました。

 

その後,検事による取り調べが始まりました。担当の三輪検事は,俳優の西島秀俊似の,いかにも「切れ者」のような風貌の方でした。話し方は穏やかで,言葉遣いも非常に丁寧でしたが,容疑の核心に触れる部分については,なんども繰り返したずね,納得いくまでは追求を止めない,という厳しい姿勢が見て取れました。

 

「平成24年3月に行われた,情報システムの入札は覚えていますね?」

「あなたはダンテックから,お金をもらっていましたね?」

「入札の前に,NECの見積<みつもり>金額をダンテックに漏らした,あるいは漏らすように誰かに指示したことはないですか?」

 

というような内容を,三輪検事は繰り返し執拗にたずねてきました。

 

ここで,ダンテックとは,上記の入札で落札した(=競り勝った)企業であり,NECとは,同じ入札に参加してダンテックに競り負け,かつ,それまで十数年の間,この入札に関する業務を独占的に受注しつづけていた企業です。

 

また,入札とは,国循のような公の機関が,新しくモノを買う(物品調達),あるいは民間企業に業務を委託する(役務<えきむ>調達)際に,それに先だって,「モノを売りたい」「業務を受託したい」と考えている企業を公平に募り,彼らに一斉に価格を提示させて競わせたうえで,もっとも安価な価格を提示した企業と契約を行うという事務手続きのことです。

 

どうやら,三輪検事は,私が,入札に参加した特定の企業(ダンテック)に対して,入札の前に,他の業者(NEC)の見積価格を教えたのだ,と疑っていることがわかりました。

 

見積価格とは,入札に参加する予定の企業が,入札に先立ち,国循に対して提出する「おおよその価格」のことです。詳細は省略しますが,入札にもいろいろなやり方(種類)があり,どの種類の入札を行うかは,主に国のルールによって決まります。一般的には,入札の予定価格の高低によって,入札の種類が決まります。国のルールでは,入札の種類が決まらないと,官報に掲載するなどの正式な手続きが踏めないことになっていますので,国循では,入札に先立ち,「どれぐらいの金額の入札になりそうか」を事前に把握しなければなりません。

 

そのため,国循は,事前に企業から取得した見積書から見積価格を把握し,これを元に,独自の計算によって入札の予定価格を計算し,入札の手続きを進めます。よって,国循は,入札に参加する,最低でも1社の企業の見積価格を事前に知っていることになります。その見積価格は,入札当日に企業が提示する入札価格とは異なることもありますが,見積価格を知ることによって,ある程度の精度で入札価格を推測することができるといえます。

 

よって,その見積価格が,事前に,国循の職員を介して,同じ入札に参加する他の企業に知らされていたならば,それは明らかな違反行為です。このような行為は,「官製談合」と呼ばれ,入札の公正を害する行為として,刑事罰の対象となります。つまり,私は,検察から,この「入札の公正を害する行為を行った者」としてマークされたのです。

 

このとき,私は,検事はなんの根拠があってこのようなことを聞くのだろう,と不思議に思っていました。なぜなら,

 

  • 私は入札の担当者ではなかった
  • ダンテックとの関係,とりわけ金銭授受についてやましいところはなかった
  • NECの見積金額をダンテックに伝えたことはなかった

 

からです。以下に,それぞれについて説明します。

 

私は入札の担当者ではなかったこと

 

国循では,入札に関する手続きは,すべて調達企画室が行うことになっています。私のような現場の責任者は,「現場ではどのようなものが必要か」という要求事項を取りまとめて調達企画室に伝える,という形でしか入札に関わりません。一方,調達企画室は,我々の要求事項を仕様書という書面として整え,上述のように,いくつかの企業から見積書を取得し,入札の方法を決定します。その後,入札の実施から契約に至るまで,すべての事務手続きは調達企画室によって行われることになっています。このような状況において,そもそも,入札事務に携わることのない私が,なぜ入札の公正を害する行為を行うことができるのか,とても不思議に思いました。

 

ダンテックとの関係についてやましいところはなかったこと

 

私は,前職は大阪大学,前々職は鳥取大学において,それぞれ准教授の職にありました。その期間,私は,国循と同様,病院の情報システムの企画・運営・管理の業務に従事していました。ダンテックは,その期間に大学から仕事をお願いしたことのある企業の一つでした。2011年2月,私は鳥取大学から,急遽,大阪大学に異動することとなり,鳥取大学では,私が従事していた業務を担当する職員がすぐに見つけられない状況にありました。そこで,鳥取大学は,ダンテックの関連企業であるアイヴィスに私の担当業務の一部を委託しました。一方,私は,大阪大学に異動した後も,これまで鳥取大学でアイヴィスとともに行ってきた共同研究を継続するため,そして,私がかつて行っていた業務をサポートするため,2011年5月からアイヴィスと顧問契約を結びました。その後,私は,2011年9月に国循に招へいされ着任することになりましたが,大阪大学,国循ともに,私はそれぞれの組織により定められた手続きを行い,「アイヴィスの顧問業務を兼業する旨」の承認を受けています。当然,私は,これらの兼業手続きにおいて報酬額を申告していました。また,アイヴィスは,ダンテックの関連企業とはいえ独立した一つの企業であり,私のアイヴィスでの兼業内容は国循とは無関係のものでした。このため,私は,ダンテックとの金銭授受について疑われるようなことはなにもないと考えていました。なお,2012年3月の入札でダンテックが落札した後,私はアイヴィスとの顧問契約は継続していません。

 

上記以外にも,私の逮捕時,一部マスコミにより,ダンテックから私に対して利益供与のあったことを疑わせる報道がなされました。しかし,そのような事実はありません。実際,今回,贈収賄での立件はありませんでした。

 

 

 

NECの見積金額をダンテックに伝えたことはなかったこと

 

上述のとおり,私は,2011年9月に国循に着任しました。私に課せられた使命は,2012年1月に稼動開始予定の病院情報システム(電子カルテ)導入でした。当時,国循は,電子カルテの導入が思うように進まず,スケジュールどおりの稼動開始が危ぶまれる状況でした。私は,2008年に鳥取大学医学部附属病院で同じようなプロジェクトを成功に導いた経験を買われ,当時の国循の内藤病院長から招へいを受け,急遽,稼動開始まで5ヶ月間しかない,という超過密なスケジュールを承知のうえで国循に着任したのでした。一方,この入札は,私が電子カルテ導入のために最も忙しくしている2011年11月ごろから準備が始まったものです。その時期から入札が実施された2012年3月までの間,私は,2012年1月に控えた電子カルテ稼動の準備と,稼動直後に発生した問題点の対応に追われていました。このような状況で,私は,この入札のことを気にかけている余裕はそれほどありませんでした。ですから,三輪検事から,「NECの見積金額をダンテックに教えたのだろう」と尋ねられたとき,私はその入札に自分がどう関わったのかすらよく思い出せない状況でした。ましてや,これまでの大学での職業経験から,当然,入札の参加予定業者に見積金額を漏らすことが違反行為であることを承知していた私が,担当でもなく,それほど関心もない情報システムの入札について,わざわざ刑事罰を負うというリスクを冒してまでダンテックに見積金額を教えるとは,当時,どう考えてもありえないと思っていました。もちろん,私がダンテックに見積金額を伝えたという事実はありません。

 

ようやく取り調べがおわり・・・

 

三輪検事による取り調べは8時間ほど続きました。取り調べの最後に,検事は「これから,あなたの言っていることが本当か,押収した書類やパソコンの記録を調べてみるから。パソコンに残っている壊れかけたファイルもぜんぶ調べるから。また呼びます。」といい,それで私は解放されました。

 

三輪検事の執拗な質問内容から,私は,すでにその時点で,検察は私の個人情報,銀行口座の取引状況,交友関係などをすべて調べ上げていることは分かっていました。それに加えて,パソコンの記録もすべて調べると言われ,私は身も震える思いでした。検事のいう「壊れかけたファイル」という言葉の意味は,パソコン上で削除したファイルもすべて復元させて中身を見る,という意味だということはすぐにピンときました。もちろん,仕事柄,パソコンのデータはいつも整理していましたし,いくら調べてもらっても構わないと思っていたのですが,そのときは,

「もしかしたら自分の忘れている重要な事項があるのではないか」

「自分が中身をよく見ずに消去したファイルになにかが書いてあったのではないか」

という思いに悩まされました。

 

取り調べが終わり,大阪地検の建物から外に出たとき,すでにあたりは真っ暗でした。すぐさま親しい人たちに連絡しなくては,と思ってはみたものの,携帯電話は押収されてしまって手元にありません。公衆電話を探すも,あたりには見つからず,結局,地下鉄の最寄り駅まで戻らなくてはなりませんでした。その道すがら,私は,「あぁ,自分の人生で最大級のトラブルが起こったな」「今まで私を育て,見守ってきてくれた両親,そして私を支えてきてくれた家族に申し訳ないな」という思いがこみ上げ,彼らにどうやって説明しようかと逡巡していました。そのとき,最終的に,私がなにを伝えたのか,今でも思い出すことはできません。その日は,病院長ら幹部への顛末報告のため国循にいったん戻り,夜遅くに自宅に帰りました。

 

検察の当初の「ストーリー」

 

その後,三輪検事の「また呼びます」の言葉とは裏腹に,3月になり,4月に入っても,私に「お呼び」はかかりませんでした。当時,山本総務部長から聞いて分かったことですが,この期間中は,ずっと,調達企画室の中島契約係長が被疑者として取り調べを受けていたのです。この話を聞いて,私は,三輪検事が中島契約係長のこともたびたび口にしていたことを思い出しました。その時点で,私は,ようやく,検察が,

 

「桑田が入札を取り仕切り,中島契約係長に指示して,ダンテックに見積金額を教えた」

というストーリーを描いていることに気づきました。

 

これは,国循の業務手順上,ありえないことです。なぜなら,繰り返しになりますが,たとえ情報システムの企画・運営・管理が私の担当業務であっても,その調達(入札)については調達企画室の所管する職務であり,かつ,私は調達企画室の中島契約係長に業務上の命令を行う権限を持たないからです。私は,国循において部長職にはありましたが,あくまで直接的に組織運営に携わることのない「現場の責任者」であり,一部マスコミの報道にあったような「国循の幹部」ではありません

 

検察は,①私が,あたかも国循の幹部のように調達企画室に命令できるほどの強大な権限を持ち,②それをもって,本来,調達企画室が行う入札業務に介入し,③中島契約係長に対し,「私と癒着していた」ダンテックへの価格漏洩を命じた,との見立てをしていたのです。

 

ところが,すでにご説明したとおり,これら①~③のいずれも事実ではありません。

 

2回目以降の取り調べ,広瀬検事

 

2014年4月下旬になり,ようやく検察庁から呼び出しがありました。担当は広瀬検事に変更となっていました。私に接触してきたマスコミの記者によると,広瀬検事は,東大卒で,外務省に出向して海外の領事館でも勤務経験があるというエリート中のエリート,「大阪地検のホープ」との触れ込みでした。

 

私は,広瀬検事を見て,自分が何度も挫折を経験し,もちろんエリートでもなく,ただ,与えられた使命を全うした末に今の地位に就いたこと,そして,まさに今,理不尽にもそこから退場を命ぜられようとしていること,そしてこれから,被疑者として,彼の土俵で,頭脳も,パワーも圧倒的に上を行く検察官に対して孤軍奮闘しなければならないこと,などを思い描いていました。私は,

 

「同じ人間なのに,えらい違いやな」

と心の中でずっと思っていました。

 

ただ,その時点で,私は,大阪弁護士会の高見秀一弁護士に弁護人をお願いしていました。ですので,正確には,高見弁護士に励まされながら,検察と対峙する日が続いたのでした。

 

広瀬検事の取り調べは,その後,私が逮捕された2014年11月の直前まで,週1~2回,各3時間ほどのペースで進みました。私だけでなく,検察は関係者を次々と呼びつけ(ときには被疑者扱いされた人物もいました),莫大な労力をかけて延々と事情聴取を続けていました。

 

この間に,検察の当初の「ストーリー」はもろくも崩れ去りました。そもそも,そのような事実がないのですから,当たり前です。しかし,2014年2月にはマスコミ報道もなされ,多くの人が知るところとなった本事件について,いまさら検察が「最初の見立ては間違いでした」と認めるわけがありません。広瀬検事の取り調べ内容から,私は,検察は矛先を次々と変えて重箱の隅をつつきまわり,なんとか私の不正行為を探し当てようとしている,と感じていました。

 

 

検察のもくろみと逮捕・勾留・「人質司法」

 

広瀬検事の取り調べの具体的内容については,これから始まる公判に深く関係するので,現時点ではまだお伝えすることができません。ただ言えることは,これほどまでに執拗に大阪地検特捜部がこの事件にこだわり,なんとしても本件を起訴に持ち込もうとした背景として,彼らがかつて大失態を晒した厚生労働省元局長・村木厚子さんの郵便不正事件との関わりがあるのではないか,ということです。マスコミの記者の話によると,2010年の,この郵便不正事件の無罪判決確定の後,大阪地検特捜部の独自捜査により摘発された事件は1件もありませんでした(国税庁からの告発案件のみ)。4年もの間,彼らはまったく「ホシ」を挙げることができなかったのです。また,冒頭で述べたとおり,国循はかつて厚生労働省の内部機関であり,いまなお厚生労働省の意向が強く働く組織でもあります。郵便不正事件で彼らが着せられた汚名の意趣返しとして,また,長らく成果の上がらなかった特捜部の存在意義を示す証しとして,私は格好のスケープゴートにされたのではないでしょうか。もちろん,これについての確たる証拠があるわけではありませんが,検察の,執拗かつ理不尽きわまりない捜査を目の当たりにしてからというもの,私はそのように確信しています。

 

結局,これほど長期にわたり検察の取り調べに応じ,捜査に協力してきたにも関わらず,私は2014年11月に逮捕され,20日間あまり,大阪拘置所に勾留されました。逮捕と同時に,高見弁護士に加えて,新たに我妻路人弁護士が加わってくれました。私は,これ以上検察に協力する理由はないと考え,弁護士らと相談のうえ,勾留中は黙秘を貫くことに決めました。私の勾留後もひきつづき取り調べを担当した広瀬検事は,私が黙秘することは想定していなかった,と述べました。この言葉を聞いて,私は,「舐められたものだな」と思いました。私を逮捕・勾留し,身体の自由を奪ってしまえば,私が観念して自白すると広瀬検事は思っていたということです。そこで,私は,もう絶対に妥協しない,どんな結果になろうとも,最後まで事実を争うと決めたのでした。

 

裁判所が被疑者の勾留を認める理由は,2つあります。証拠隠滅のおそれあるときと,逃亡のおそれのあるときです。証拠隠滅とは被疑者間で口裏合わせをするような状況を指します。検察が,2014年2月に強制捜査を行い,同年11月に私を逮捕するまでの間,やろうと思えば口裏合わせをする機会はいくらでもありました(やったわけではありません)。私が捜査対象であることが明らかになって10ヶ月も経ってから,私が証拠隠滅をするおそれなどあるはずはありません。また,国の機関に所属し,それなりの立場もある私が逃げ隠れするおそれもあろうはずがありません。このような状況で勾留が認められるとは,これがまさに「人質司法」の典型であろうと私は考えます。

 

なお,私が勾留中に否認を続けることができたのは,取り調べの可視化(録音・録画)によるところが大きいと考えています。取り調べが可視化されていたからこそ,広瀬検事は,それ以前より丁寧な言葉遣いをし,声を荒げることもなく,穏やかに,勾留中の私に対して取り調べを進めたのだろうと実感しました。これがなければ,長時間にわたって取り調べが続き,私が精神的な苦痛を受けつづけたであろうと思います。「もう勘弁して欲しい」とその場の苦痛から逃れたい一心で,虚偽の自白に至る被疑者の心境は,実際に体験してみないと理解できないでしょう。私の場合も,可視化されていたことにくわえ,ほぼ毎日,弁護士が接見に来てくれたことが大きな支えとなり,勾留期間中の苦痛に耐えることができました。そうでなければ,私は,やってもいないことを認めてしまっていたかもしれません。

 

その後,私は,2014年12月に起訴され,刑事裁判の被告人となりました。通常,被告人が否認を続けている場合,起訴後も長期にわたり勾留が続くと言われています。郵便不正事件の村木さんの場合もそうでした。しかし,私の場合は,起訴後すぐに行った保釈請求が認められ,起訴後の勾留は,実質的にありませんでした。裁判所が,通例に反し,易々と保釈を認めるには理由があるはずです。私は,この事実もまた,この事件に対する検察の捜査の「異常さ」を表していると考えます。

 

起訴

 

最終的に,検察は,次の3つの公訴事実(概略)をもって私とダンテック社長の高橋氏を起訴しました。私に対する罪状は,官製談合防止法違反などです。なお,繰り返しになりますが,贈収賄での立件はありませんでした。

 

  • 2012年度の一般競争入札(以下,入札といいます)において,NECが競争参加資格審査のために提出していた運用支援業務従事者数等が記載された書面を,電子メールにてダンテック高橋氏に送信し,NECの体制を教えた。
  • 2013年度の一般競争入札(以下,入札といいます)において,ダンテックのみを仕様書案の作成に関与させるとともに,ダンテック以外の業者の参入が困難となるような条件を盛り込んだ仕様書を作成し,その事情を隠して入札に供した。
  • 2013年度の公募型企画競争入札(以下,入札といいます)において,受注する意思のない企業NDDを競争に参加させたうえ,ダンテックより高値で応札させるとともに,ダンテックが作成提出すべき企画提案書について助言指導を行った。

 

これらは「公訴事実」と呼ばれますが,いずれも事実ではありません。

 

入札の流れ

 

ここで,入札の流れについて押さえておきたいと思います。下の図は,初公判の冒頭陳述で私の弁護人が使用した図です。

 

 

入札では,まず,調達したい物品や役務について,現場から調達企画室に要望が提出されます(もちろん要望がすべて通るわけではないのですが,便宜上,ここのプロセスは省略します)。この要望について,調達企画室が入札の仕様書を準備します。仕様書とは,調達する物品や役務の明細を記した書類です。調達企画室は,現場の要望を踏まえ,関係する企業などから意見を聴取して仕様書を作成します(入札の流れ図①)。この段階で,企業からは参考見積を取得しておきます。というのも,おおよその入札金額がわからないと,調達企画室が契約の方法(随意契約,一般競争入札,公募型企画競争,などのこと)を決められないからです。

 

調達企画室は,完成した仕様書などの資料を契約審査委員会に諮ります(入札の流れ図②)。契約審査委員会では,契約の方法,経営の効率化の見込み,コスト削減の可否,数量等の妥当性,競争性の阻害要因の有無,より競争性の高い契約形態への移行の可否,競争性を向上させるための措置の有無などについて審査を行います。

 

契約審査委員会をパスした後に,調達企画室は,入札公告の手続きを行います(入札の流れ図③)。入札公告とは,入札の概要に関する情報をホームページや官報に掲載し,一般に公開することを指します。

 

この後,調達企画室は,入札の予定価格を決定します(入札の流れ図④)。予定価格とは,入札が成立する上限の価格のことです。一般競争入札を例にとると,予定価格を下回り,かつ入札価格が最も安い企業が落札者となります。つまり,競争相手より安いだけでなく,調達企画室があらかじめ定めた予定価格を下回らなければ落札者とはなりえません。国循では予定価格を公表していませんので,これは秘密にしておくべき事項です。

 

さて,入札公告が行われれば,入札に関心のある企業が国循に問合せをすることができます。調達企画室は,そのような企業のうち,入札への参加を希望する企業に対して,入札の流れ図の①で作成した仕様書を交付します。仕様書を受け取った企業は,期限までに入札資料を国循に提出します(入札の流れ図の⑤)。入札資料とは,企業の入札参加資格を証明する書面などの資料のことです。調達企画室は,企業から提出を受けた入札資料を確認し,企業が入札に参加してよいかどうかを判断します。このとき,調達企画室が,現場に入札資料を見せて意見を仰ぐこともあります(入札の流れ図の⑤の右側矢印)。

 

この後,入札参加資格ありと判断された企業が入札に参加し,入札が実施されます(入札の流れ図の⑥)。入札の後には,適正に入札が実際されたかどうかを審査する契約監視委員会が実施されます(入札の流れ図の⑦)。

 

入札1について

 

入札1は,当初から問題視されていた,上述の入札(情報システムの運用・保守業務委託)と同じものです。検察は,当初のストーリーが破綻したため,ダンテックに教えたのは「NECの見積金額」ではなく「NECの体制(人数)」である,とストーリーを矮小化してきたのです。

 

上で述べたとおり,私は,入札1が行われた年度(2011年度)は電子カルテの導入業務に忙しい時期でした。入札1に関する情報システムの担当でもありませんでした。しかし,2012年度からは私の担当となることが決まっていたので,国循内部では,入札1に関する現場の対応は,形式的に私が代表して行っていました。

 

入札1が近づいてきた3月上旬ごろの時期に,私はダンテックの高橋社長から,その入札に関する業務がどのような体制で実施されているのか,という趣旨の質問を受けました。そのとき,私はあらためて当時の仕様書を見直してみました。すると,たしかに,全体として「常駐の技術者数は○名を目安とする」旨の記載があるものの,そこに列挙されている一つ一つの業務がどれだけの作業量であるかが明記されておらず,新規に参入しようとする企業から見れば,人員の算定に困るのかもしれないと思いました※。

 

たとえば,有能なエンジニアしかこなせないような難易度の高い業務であっても,その頻度が少なければ,そのような人件費の高いエンジニアを常駐させておく必要はありません。逆に,特段のIT知識がなくても対応できるような窓口業務や事務作業が多いのであれば,人件費の安い無資格者を多く常駐させた方がよい,という判断もありえるでしょう。

 

※なお,これはあくまでも私の当時の認識を述べたものです。初公判での高橋社長側弁護人による冒頭陳述において,高橋社長は,入札日(2012年3月19日)から業務開始日(2012年4月1日)まで,実質10日間ほどしか時間がないので,かりにダンテックが落札に成功した場合に,NECからスムーズに引き継ぎをしてもらわないと業務に支障をきたすという理由で私にNECの体制を聞いたのだ,という説明がありました。また,同弁護人は,入札日から業務開始までわずかしか準備期間がない,という状況自体,現行業者にきわめて有利に設定されたものだという指摘をしています。

 

そこで,私は,国循の職員などに問合せをして,当時,NECが国循で実施していた業務(現行業務)体制のわかる資料を求めました。それは,すでに述べたとおり,私はこの業務を担当しておらず,実態として,NECがどのような体制でこの業務をしていたかを自分では正確に把握していなかったからです。その結果,入札の当日になってようやくNECの体制に関する資料が私の手元に届きました。それは,NECの管理者と作業員の名前が列挙されているようなものでしかなく,私が想定していた情報としては不足するものでした。しかし,再度,詳細な資料を求めるための十分な時間が残されておらず,私はそれをダンテックに提供したのでした。

 

結果的に,私が提供した資料は,入札1のためにNECが作成し,国循に提出された入札資料(前節の入札の流れ図の⑤)の一部でした※。しかし私にはそのような認識はなく,現行業務の体制として高橋社長に提供したものです。高橋社長の弁護人も,高橋社長は私の資料を元に入札額を変更したり決定したりしていない,と冒頭陳述で述べています。

 

※そのNECの資料は,現行業務体制ではなく,次年度に予定していた業務体制ということになります。しかし,当該資料に記された常駐者の人員は,現行業務体制のそれと同じであり,非常駐者については,どれぐらいの人員の稼動が予定されているのかについて,まったく推測できないものでした(資料中に,非常駐者は数多く列挙されており,業務に従事する頻度が明記されていないものであるからです)。

 

入札1の業務は,当時の現行業務とほぼ同じ内容で,継続性が必要とされる業務でしたので,入札参加者が現行業務の体制を知りたいと考えるならば,機会の公平性を保つためにも,当然その情報は提供されるべきです。もし入札参加者から質問があれば、国循は当然答えなければならない内容であり,質疑応答として全参加予定者に周知される内容です。そうでなければ,入札において,その業務を熟知している現行の受託企業が一方的に有利な状況となるからです。

 

なお,入札1の参加企業は,NECとダンテックのみでした。よって,私が,NECの現行業務体制をダンテックに提供したことは,すべての入札参加予定企業に対して,求めがあれば本来提供すべき情報を提供したのと同じことであり(NECは当然自社の情報を知っているので),入札の公正を害するものでないことは明らかです。

 

入札2について

 

入札2は,入札1と同じ業務委託に関する,次年度の入札に相当します。

 

検察は,私が「ダンテックのみを仕様書案の作成に関与させ」,「ダンテック以外の業者の参入が困難となるような条件を盛り込んだ仕様書を作成した」と主張しています。

 

たしかに,私が,ダンテックの意見を踏まえて,入札2の現場の要求事項をとりまとめ,案として調達企画室に伝えたのは事実です(入札の流れ図の①の右側矢印)。しかし,その業務に関する現場の要求事項をとりまとめるためには,その時点において現場で起こっている問題点を明らかにし,その今後の改善策を検討しなければなりません。

 

このような目的のために,現場の責任者である私が,現行業務を担当するダンテックから聞いた意見を元にして,新たな作業項目を追加したり,不要な作業項目を省いたりといった現場の状況に則した仕様書の案を作成することは,コスト削減と業務最適化の観点から当然のことです。逆に,コスト意識を持たず,かつ現場の状況を顧みず漫然と入札を行うことの方が,より非効率な業務を生み,税金の無駄遣いにつながることは明らかです。

 

入札2において私が仕様書に追加したのは,特定の技術者に対して仮想化システムの構築実績を求めたものでした。私は,鳥取大学に在籍していた2008年に,全国に先駆けて,病院情報システムの全面的な仮想化に取り組み,成果を上げていました。システムの仮想化は,機密情報の保護という観点からきわめて有用な手法の一つです。このため,患者さんの診療情報を扱う医療機関にとって非常に有用な手法といえます。とりわけ,病院(診療業務)と研究所(研究業務)を併せ持つ国循にとって,患者さんの情報を保護しつつ,「診療で得たデータを研究に活かす」(=臨床研究の推進)ためには,当然備えておくべき技術であると私は考えていました※。そこで,今後のシステム整備を見据えて,仮想化システムを円滑に取り扱うことのできる業者を求め,その能力の証明として,国循と同規模の病院における仮想化システムの導入実績を求めたのです。これは,現場としては当然の要求でした。

 

※臨床研究の推進は,国循の中期計画(平成22年4月1日策定,平成23年5月17日改正)において第一に掲げられている項目でもあります。
http://www.ncvc.go.jp/about/mod_plan.pdf

『第1 国民に対して提供するサービスその他の業務の質の向上に関する目標を達成す
るために取るべき措置

1.研究・開発に関する事項

(1)臨床を志向した研究・開発の推進

① 研究所と病院等、センター内の連携強化』

 

なお,仕様書に文言(要求要件)を付け加えれば加えるほど,当然,その要件を満たす業者の数は少なくなっていきます。いみじくも,高橋社長の弁護人が初公判で述べた,

 

『あらゆる仕様条項が「業者の参入が困難になり得る条項」に該当するのであって、他の業者の参入が困難となり得る条項が盛り込まれたとしても、それ自体で「公正を害する行為」とはなり得ない。』

 

という意見は,まったく妥当なものと言わざるをえません。

 

「現場管理」を仕事とする私と,「入札」を仕事とする調達企画室の違い

 

私は,現場で必要とされる項目を提案しました。最終的に調達企画室が作成した仕様書にその項目が残りましたが,その結果,ある企業の参入が困難となったからといって,私は「では,誰もが入札に参加できるように,その項目を削除しましょう」と,現場を犠牲にするような考えを持ちません。なぜなら,私たち現場の職員は,入札のために業務を行っているのではなく,現場の業務に課せられた使命を果たすために業務を行っているからです。

 

私には,仕様書の作成権限はなく,事実,仕様書を作成したわけではありません。現場から要求のあった案をもとに,どのように仕様書を完成させ,かつどのような方式で入札を実施するかについては,入札業務を所掌する調達企画室の責任範囲です(入札の流れ図の①)。調達企画室は,まさに入札のために業務を行っている部署であり,国の定めるルールに従い,本来するべきことをするのが彼らの職務であるはずです。

 

私と調達企画室の2者の役割は完全に分離しています。それは,入札の公正・公平性を保つために定められた国のルールなのです。業務をするうえで,お互いが協力しあうのは当然としても,それぞれの仕事の権限や範囲を超えて業務をすることはありませんし,ましてや,職務権限を超えて一方が他方に責任を負わせるようなことがあってはならないはずです。

 

入札3について

 

入札3は,不調(入札が不成立となること)に終わった入札2の約半年後に行われた入札です。対象となる業務は,入札1および入札2と同じです。入札2が不調となったいきさつも事件に関わりがありますが,ここでは割愛します。

 

検察の主張する「受注する意思のない企業NDDを競争に参加させたうえ,ダンテックより高値で応札させる」とは,形だけNDDに入札に参加させ,競争が成立しているかのように装った,という意味です。私たちの業界では,このような行為を「お付き合い入札」ということがあります。業界内ではよくあることです。もちろん私もその存在を知っています。しかし,本件に関して,私が「お付き合い入札」をNDDに依頼した,という事実はありません。

 

また,そもそも,私がそのようなことをする動機がありません。

 

お付き合い入札が「よくある」という背景には,政府から国の機関に対し「一者応札を避けるべし」というプレッシャーがかかっていることがあります。一者応札とは,入札を実施したが,参加した企業が1社しかなかった,という状況をいいます。これにより,本来行われるべき競争が行われず,価格が高止まりし,税金の無駄遣いにつながる,よって避けるべし,という考え方です。

 

国循では,契約審査委員会や契約監視委員会などの委員会によって,一者応札の有無が常にチェックされています。もし一者応札があれば,それ以降,この委員会に関係するさまざまな手続きや報告が必要となり,これらの委員会と深く関わる調達企画室にとって,面倒なことになります。一方,過去,私に関係する国循の入札において,一者応札となったことが何度もあります。しかし,これらについて私がお咎めをうけたり,釈明を求められたりすることは一切ありませんでした。もちろん,私自身も,契約審査委員会や契約監視委員会などの委員会のメンバーではありません。つまり,現場にいる私は,自分の業務に関係する入札が一者応札であろうとなかろうと,まったくメリットもデメリットもないのです。すなわち,私には,企業にお付き合い入札をお願いし,一者応札を回避する動機がまったくありません

 

さらにいえば,かりに私がダンテックに落札させることをもくろみ,ある企業に「お付き合い入札」をお願いしたとしても,「本気で」入札に参加してくる別の企業を阻止することはできません。二者で競争を装ったところで,他の企業が入札に参加し,ダンテックより低価格で入札すれば落札できてしまうのです。

 

よって,「お付き合い入札」の動機は,入札担当者である調達企画室の職員が「面倒を避けたい」ということ以外に考えられません。

 

私は,入札に競争的要素は必要であると考えています。国循では,随意契約を一般競争入札に切り替えられないか調達企画室に提案したり,いくつかの企業に参加を呼びかけたりしたこともありました。このように,国循の入札で競争原理が働くようになると,NECは,これまで国循の情報システムで占めていた圧倒的優位な地位を失いました。低価格で質の高いモノが調達できるということは,多額の税金が投入され運営される国循にとって,ひいては日本国民にとって大きなメリットです。私自身,自分の業務に関係する入札が行われるときに,入札できそうな企業に参加の呼びかけをすることはこれまでもたびたびありました。しかし,それが「お付き合い」を当然の前提としたものであったことはありません。

 

また,「ダンテックが作成提出すべき企画提案書について助言指導を行った」についても事実ではありません。

 

まず,入札3で実施された「公募型企画競争入札」について説明します。公募型企画競争入札は,入札1および入札2の「一般競争入札」とは入札の方法(種類)が違います。一般競争入札では,参加企業の提示する価格(入札価格)が最も安価であった者が落札者となります。一方,公募型企画競争入札では,一般的には,参加企業が企画提案書を作成したうえで,その内容について,国循の評価委員の前でプレゼンテーションを行い,評価委員が与える得点(技術点)が最も高い者が落札者となります(いわゆる「コンペ」に相当します)。ただし,国循の入札3では少し異なったやり方を取っていて,プレゼンテーションとは別に,企業に価格も提示させて評価し(価格点),技術点と,価格点の合計点が最も高い者が落札者となります。価格点は,一定の計算式により,入札価格によって点数が計算されます。大まかにいえば,価格点は,入札価格が高いほど点数は低くなり,入札価格が安いほど点数は高くなるように設定されていました。よって,入札3では,プレゼンテーションの評価が高く,価格の安い企業が有利になる仕組みでした。

 

検察は,「本来,ダンテックが作成すべき企画提案書(プレゼンテーション用の資料)に対し,ダンテック側が桑田に助言を求め,それに対して桑田が助言を与えた結果,ダンテックが有利となった」と主張しています。しかし,入札3は,ダンテックと,「お付き合いで参加した」NDDのみしか参加していません。私はNDDが「お付き合い」であるとは認識していませんでしたが,そもそも,なぜダンテック側が,必ず勝つと分かっているNDDに対してさらに優位となるために,私に助言を求める必要があるのでしょうか。

 

さらに,私が助言を行ったものでない,ということを説明します。当時,ダンテックは入札3に関係する現行業務を受託していた企業でした。ダンテックの社員と私は,情報システムに関する当時の課題や対応,そして今後の整備計画などについて話し合うために,ほぼ毎日,打ち合わせの時間を設けていました。

 

他方,入札3が求める企画提案書(プレゼンテーション)の内容は,国循の情報システムに関するものでした。これは,入札3が国循の情報システムの業務委託に関することであるので当然のことです。よって,私がダンテックと話し合っていた内容とプレゼンテーションの内容に重複があるのは当然です。入札があるからといって,入札の準備開始から入札終了まで,ずっと業務を止めておくことはできません。かりにダンテックの入札3でのプレゼンテーションに,業務上の必要性に応じて私とダンテックが話し合っていた内容が含まれていたとしても,それは私が助言をしたことにならないのは当然のことです。

 

おわりに

 

最後に申し上げたいことがあります。

 

私が国循に着任してから,国循の情報システムは,電子カルテも含めて大きく進歩しました。職員の方々からも,数多くの感謝の言葉をいただいてきました。ただ単に,情報システムの質が向上しただけでなく,企業に価格競争をさせることで,国循では,以前よりはるかに安価な金額で情報システムが調達できるようになりました。

 

これまで,国循は十数年にわたり,ほぼすべての情報システム関連委託業務をNECが受注してきました。情報システム機器も,ほぼすべてがNECから購入されているものでした。たとえば,入札1の保守対象機器やソフトウェアは,そのすべてが過去にNECから購入したものであったうえ,実際には使われていない不要な機器や,NECからしか購入できないようなものまで含まれていました。さらに,国循のサーバ室は,NEC製の不要な機器であふれかえり,ネットワークも整理されず,セキュリティ対策も不十分なまま放置されていた状態でした。

 

これは,当時のNECに実力がなかった,といえばそれまでですが,別の見方をすれば,NECはこのような「天国」にあぐらをかき,漫然と高額な受注を繰り返していたともいえます。いわば,国循はNECの「カモ」にされていたのです。

 

このような状況は,まさに国のいう「一者応札」の弊害そのものです。国循の情報システムは,私の着任によって,「NEC地獄」から抜けだし,大変貌を遂げました。しかし,今回の私の逮捕・起訴によって,国循は,また振り出し,あるいはマイナス状態に戻ってしまいました。また,かつてのように税金の無駄遣いが始まっていることでしょう。

 

国循だけではありません,病院の情報システムの調達関係者は,私のように刑事訴追されることを恐れて,いまや「羮に懲りて膾を吹く」がごとく,戦々恐々の状態と聞きます。組織にとって必要な機能を備えるべく準備し,かつ金額も安価に抑えてようとしているにもかかわらず,ただ単に,実力に劣る企業が参加できないという理由で,その入札が「公正を害する」ものだ,と断罪することは,果たして正義なのでしょうか。

 

2016年4月27日に,私の裁判がようやく始まりました。すでに,最初の強制捜査から2年以上の年月が経ってしまいました。弁護士からは,裁判はあと2年はかかると言われています。2014年2月,この件がマスコミで報道されるやいなや,私は実質的な謹慎状態におかれ,同年4月には部長職を解かれました。さらに同年12月の起訴により,私は強制的に休職を命ぜられ,現在に至っています。2016年8月末には,私が国循に着任して丸5年を迎え,その時点で私の国循における任期が終了します。裁判でどのような結果が得られたとしても,もう私は国循に戻ることはできないでしょう。

 

この事件で,私は多くの同僚や関係者に迷惑をかける形となりました。それと同時に,多くのものを失いました。それは,職を取り上げられ,表舞台からの退場を命ぜられ,生活の糧を失い,信頼していた部下や関係者からの裏切りに遭い,と,失ったものは枚挙に暇がありません。しかし,それでもなお私を信じて支援して下さる方々,あるいは新しい出会いにより知人・友人となった方がいるという事実は,私にとって,大変ありがたいことであると思っています。

 

この裁判での戦いを通じて,より多くの方々と知り合いになり,また,既知の方々とはより深く知り合い,それらがこれからの私の新しい人生を踏み出していくための端緒となることを希望しています。

 

今後ともご支援のほど,よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

補遺

 

なお,表題の「サザン」は,大阪地検特捜部でのこの事件に対する呼び名から付けたものです。私が取り調べを受けているとき,広瀬検事の手持ちファイル,部屋に置かれたファイル,いずれの表紙にも「サザン」の文字がありました。私は,初めのうちはなんのことかわからなかったのですが,そのうち,どうやらこれが「サザンオールスターズ」の「サザン」であるらしいことに気づきました。サザンのリーダと私は同姓ですので。

 

以上