経緯説明①~その日は突然やってくる
この文章は、桑田さんが、事件に「遭遇」したときからの状況と、実際の公判で表明された見解を、正確にご理解いただきたいという思いを込めて、まとめられたものです。
何回かに分けて、アップいたします。
はじめに
2014年2月上旬の午前9時,私は,いつものように職場の執務室で仕事をしていました。
そこに,PHS(内線電話)で山本総務部長から電話がありました。
「桑田先生,いまからすぐに○○会議室に来てもらえませんか。」
当時の私は,国立循環器病研究センター(以下,国循<こくじゅん>といいます)で情報システムの企画・運営・管理を担当する情報統括部という部署の部長職にありました。国循は,現在日本に6つある国立高度専門医療研究センター(ナショナル・センター)の一つで,その名が示すとおり,循環器疾患(心疾患・脳疾患)に関する高度な医療を提供し,かつその研究を行うために国が設置した施設です。かつては,厚生労働省の内部組織でしたが,2010年に独立行政法人,さらに2015年には研究開発法人となり,現在に至っています。
総務部長からの突然の呼び出しに,私は嫌な予感がしました。私は,医師ではありませんが,国循では病院の診療部長と同じような「現場の責任者」の立場であり,私の直接の上司は病院長でした。よって,国循の組織運営に直接携わる管理部門のトップである山本総務部長の指示・命令を受ける立場にありませんし,普段の業務で山本総務部長と接触することもほとんどありませんでした。なので,突然,朝一番に彼から私に呼び出しがかかるということ自体,とても不自然で,「なにかが起こったのだな」と思わせるものがありました。
「今,すぐに,ということでしょうか?」
と私は山本総務部長にたずねました。
「はい,だれにも言わずに,すぐ来て下さい。」
と彼がいいましたので,私は,その場で,10分後に予定されていた部内会議を中止する,と部下に伝えて,すぐに部屋を出ました。
指定の場所に向かう間,私は,「おそらく情報漏洩の事故がまた起こったのだろう」と考えていました。というのも,その数ヶ月前に,国循では,退職した医師が国循の診療データを持ち出し,紛失したという事故があったばかりだったからです。
山本総務部長は,指定された会議室の前の廊下で待っていました。私が挨拶し,用件を聞こうとすると,彼はそれをさえぎり,私にささやくような声で,
「検察が来てるんですよ。皆さん待っておられるので,この部屋に入って下さい」
と言いました。
ドアを開けて私が目にした光景は,異様なものでした。その会議室は20~30名ほどが収容できる部屋でしたが,普段置いてある机やイスは,1つを残してすべて端に寄せて片付けられ,眼鏡をかけたスーツ姿の男性が一人,残されたイスの傍に立ち,その後ろに,これまたスーツ姿の男女が十数名並んで,私を睨んでいるのです。
私は,眼鏡の男性に,イスに座るよう促されました。彼は,自分が大阪地検特捜部の者であると名乗り,私の名前を確認した後,
「あなたに官製談合防止法違反の容疑がかかっています。裁判所から令状が出ています。所持品を押収しますので,いいですか。」
と言いました。令状として示されたのは一枚の紙で,私がよく読もうかと思ったとたん,すぐに引っ込められました。気が動転していた私は,令状の内容も確かめる暇もなく,わかりました,と言いました。
「では,これからわれわれとともに,検察庁に来ていただきます。総務部長の許可もいただいています。いいですね。」
今思えば,私は山本総務部長の部下ではないので,彼の許可など関係ないのですが,検察は山本総務部長を実質的な責任者とみなして話を進めているようでした。私は,自分の身に何が起こったのかわからず,ただ呆然とするばかりで,わかりました,というのが精一杯でした。
その後,私は,スーツ姿の男性二人に両端を挟まれて,自分の執務室に戻りました。そこで,彼らは,私に,携帯電話や手帳などの私物のみを身につけ,仕事で使っているパソコンや書類は置いていくように指示しました。私が,当座の業務の段取りについて部下に指示しようとすると,男二人はさえぎって,話さないでください,といい,書面を渡そうとすると,確認させてもらいます,と間に入ってきました。ひととおり準備がすむと,私は,そのまま検察の用意したワゴン車に誘導され,後部座席に座るように指示されました。
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