いきさつを紹介します

このページを開いていただき、ありがとうございます!

最近、事務局に入れていただきました、Kと申します。

桑田さんの高校時代の後輩にあたります。よろしくお願いいたします。

 

この回では、私の話をさせていただきます🙇‍♀️

 

桑田さんが高校を卒業されてから、一度もコンタクトをとったことはありませんでした。

 

2012年から、海外で暮らしていました。


(海外現地の風景)

 

2014年。事件のことは、日本のネットニュースで知りました。写真もニュース動画もなく、年齢も書かれていません。簡単な3-4行の記事でした。「同姓同名の方が事件の犯人になっているんだなぁ」と思っていました。記事を見たのは、春ごろと年末の2回です。

2016年に裁判が始まったのも、リアルタイムではなかったんですが、現地でネットニュースを見て気付いていました…が、ご本人だとは、夢にも思いませんでした。

卒業後は、風の噂で、気象大学校に進まれたと耳にしたことがあり、病院勤務をされているわけがないと思い込んでいたからです…。

 

それでも、気にはなっていました💦

 

 

たまたま、事務局のHPを見つけ、時々、ご本人のお写真を見たり、事件を説明された動画を見ましたが…。

「仮に先輩だったとして、こんなお姿だったっけか?」…当時の写真を見返すこともないまま、35年近く経過していたこともあって、全くわかりませんでした。

入札問題は、けっこう足をすくわれやすいと知ってはいたんですが、同姓同名の方であったとしても、いい方向にいかないもんだろうかと思っていました。

 

 

 

去年の春、日本に戻る予定でしたが、コロナの影響で、出国を見合わせることになりました。

羽田空港でPCR検査が陰性だったとしても、2週間(自腹で)待機するホテルも見当たらず…。仮に見つかったとしても、外務省からは、「羽田空港からは、陰性であろうが、2週間、タクシー含む公共交通機関での移動は禁止」と言われていました。

マイカーを空港に置いていなければ、移動は、徒歩しかない…。

「水戸黄門よりひどい💦 2週間、野宿しながら諸国漫遊しないといけないの?💦」と、途方に暮れたのを覚えています。

 

 

帰国日程が決まらない…。

 

現地で、いつ終わるかわからないロックダウンを経験しました。

 

開いているのは、スーパー、薬局、テイクアウトの食べ物店のみ。

日に日に、マクドナルドの客席にも、アパートの隙間にある小さな遊具にも、禁止テープがぐるぐる巻かれていって…。実際に見たときには、息を飲みました。

(紅白のテープや柵は、現地では、侵入禁止の意味です)

 

スーパーは1週間に1回ほど行きました。

2-3日に1回、30分くらい、ひとりで散歩に出るのが唯一の気分転換で…。

 

 

「この先、一体どうなるんだろう…日本にコロナを持ち込むわけにはいかない…」

重苦しい気持ちに思考を持っていかれながら、日本での関係先ひとつひとつに、コロナで帰国日程が決められずにご迷惑をおかけすることを、申し訳なく思っていました。

 

 

1月中旬あたりに、「すぐ日本に戻るから…」と、冷蔵庫の冷凍部分がぶっ壊れたのをそのままにしていたんですが、3月終わりに、冷蔵部分の冷えもイマイチとなったときは、かなり困ったものでした。家電店なんて、どこも封鎖されていて、いつ開くかなんてわからない状況でしたから。

(この冷蔵庫、出国日まで、奇跡的に頑張ってくれました〜!!)

 

 

「明日から生活制限します」と発表があった当時、現地国の総感染者数は、2000人ちょっと。ロックダウンが解除された段階では、13万人は超えていたように思います。

(現地の当時の発表は、総感染者数のあとに、その日の感染者数と死亡者数が書かれていました)

 

ロックダウンが解除され、羽田空港からの移動手段が見つかり(タクシーの5倍ほどの値段がかかりましたが💦)、日本に戻れる日が決まったとき、ひとつ、決めたことがありました。

「こんな大変な状況だからこそ、人の役に立とうとしたり、応援したりする気持ちは、これからの生きる支えになってくれるはず。出し惜しみすることなく、恩は売ろう」と。

 

 

そう決めてはいたものの、帰国してからは、これといって恩を売る機会もないまま💦💦

一時帰国でない日本での生活に戸惑いながら、バタバタと日常生活を送っていました。

 

 

 

「久しぶりに事件のことをチェックしようかな」

何となく思い立って検索した文章をみて…大きくため息をつきました。

私が取り調べを受けているとき,広瀬検事の手持ちファイル,部屋に置かれたファイル,いずれの表紙にも「サザン」の文字がありました。私は,初めのうちはなんのことかわからなかったのですが,そのうち,どうやらこれが「サザンオールスターズ」の「サザン」であるらしいことに気づきました。サザンのリーダと私は同姓ですので。(国循サザン事件―0.1%の真実―《経緯説明》

「“サザン事件”と名付けたのは誰か。なぜ名付けたか」が、ハッキリ書かれた文章は、初めて見たんです。

 

 

先輩ならこうする、絶対に間違いない、誰がなんと言ってもご本人の事件だ…

なんでわからなかったんだろう…と自分を責めました。

 

 

「事務局あてに、寄付だけしよう」とメッセージ欄を開くのに、何日か、かかりました。

 

 

送信した翌日、まさか、ご本人からお返事が届くとは思いもよらず…。

 

あまりの緊張で、心臓が終わった、と思うほどでした(笑)。

 

 

「とんでもないことを仕出かした、ご本人だ! やばい、どうしよう!!!」と震えて椅子から落ちそうになったのは、実は、「私本人(桑田)ですが」と名乗られる前の挨拶文を目にしたときでした。

名乗られた段階では、「そうでしょうね」と呟いたのを覚えています💦💦

 

 

詳しいことは忘れてしまったんですが、高校当時の話です。

何か困ったことがあって、依頼をするお手紙を先輩が書かれたのを目にした私が、思い切って尋ねたことがありました。

「(読)点がないんですが、この文章…」

そのときの返事は、当時の自分には、思いもよらないものでした。

「困っているときに人に頼む文に、点なんてつけている場合じゃない」

「そうなんですか…」と、あっけに取られて終了しました。

 

 

「私本人(桑田)ですが」の前の文面の言葉は、挨拶文(お礼)が繰り返されたものでした。文の途中の「、」は見当たりませんでした。「です」「ます」の後、「。」じゃなく「、」で続くんです。最初から「。」までの一文、ひと息で読むことができませんでした…💦。

 

お礼にしては3行くらいあって、文がいくつもわかれているのに、マルはひとつしかないの?

もしかして、マルも打てないほど、困っていらっしゃるんですか?(笑)と思ったんです。

 

 

そのあと、高校当時とは比べ物にならないほど、やりとりをさせていただくことになり…。

事件の資料を送っていただいて感想を送るようなことを繰り返し、事務局に入れていただくことになりました。

最近気付いたことですが、桑田さんとのやりとりでは、自分でもどうしてかわからないんですが、思い出せない当時の記憶の残骸が影響して💦、「さすが!」と受け止めてしまうことが、よくあるみたいです。

 

日本に戻るときに決意した「恩を売る」は、少しでも、事務局のお仕事でできれば、光栄に思います。

 

 

ここまでお読みいただいて、ありがとうございました!!

事務局K