《ソサエティサイエンスジャーナル》(インターネットラジオ『レディオ与一』)に出演しました(3)

岡山県井原市発のインターネットラジオ局『レディオ与一』の《ソサエティサイエンスジャーナル第548回》に出演いたしました。番組の許可を得て、番組内容の文字起こしを本ブログに公開いたします。(全4回のうち第3回目)

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吉岡優一郎(レディオ与一):僕は一回交通事故を起こしたことがあって、調書を取られて、拇印を押しちゃったことがあるんです。僕にも当然、言い分がある。飛び出してきた奴をはねちゃったという。

できあがった調書を朗読されて、僕の言い分ないじゃん、って違和感だらけなんだけど、うまく言いくるめられて、結局、拇印を押しちゃったんです。

言った通りのことが書かれてないって、経験してるんですね。

いかに検察が、自分たちの主張に、裏付ける方向ばかりを強調しているだろうな、と容易に想像がつく気がする。

それに対して、無関係な被疑者の人が、どうやって、あらがっていけばいいのか。

正直怖い点だなと思うんです。

桑田成規(国循官製談合事件被告人):ご指摘はそのとおりです。でも、それをご存じない方も多い。

調書のこわさ、です。

その意識をまず持つことが大切です。

簡単にいえば調書にサインしないということが大事ですが、実はそれがとても難しい。

サインしないと、帰してくれないとか、あるみたいですしね。

こちらとしては、できるだけ、調書を作らせないことが重要なんです。

どうしても、というときは、一旦もちかえって、弁護人と相談して。

調書そのものを持ち帰るわけにはいかないので、私は、こっそり録音していました。わざと声を出して調書を読んだりしました。弁護人に聞いてもらって、あるいは、自分で書き起こして、チェックしていました。そうして、自己防衛するしかないですね。

本当は、(調書を)作らせないことですね。調書には、自分にいいことは一つも書かれてないですから。

吉岡:飛び出してきたから、はねちゃったんだけど、僕が、そこで不注意で、暴走はじめて、みたいな。

事故の調書ですらそうなんだから、ましてや被疑者に接していくって、なんらかのシナリオができあがっているわけで、それに沿ったものに、どうしてもなっていくって、そうなんだろうな、と思う。

桑田:おもしろいのは、取り調べを受けていて、検事と対峙していて、検事が、私が話すことをメモに取って行くんですね。熱心にメモを取るとき、と、まったく取らないときがある。

何が違うかというと、事件の核心に触れ、かつ、私に不利な話は、ものすごく熱心に細かくメモを取っている。

私の無罪に関係するような話のときは、ピタっと手が止まる。

見ていて、おもしろいですね、ピタっと手が止まる。

いくら一生懸命話しても、まったくメモをとってくれないんです。「ところで別の件だけど」と話題を変えてくる。

聞いたことに対して、思うような答えだと、「そうだろう、そうだろう」と言う。

第三者として、調書を取られる場合、おそらく、言わせたいことははっきりしていて、
その質問だけをする。答えれば「そうでしょう、そうでしょう」

そうすると、結局うまいことつまみ食いした調書ができあがる。第三者だから公平なことをいうかというと、第三者だからこそ、無責任にいろんなこと言っちゃう。

一つの事象にいろんな解釈が成り立つ。

記憶があいまいになってくる。あのときこうだったかもしれない。

尾ひれがついて話が出てくる。

何を選んで話すかは、かなり恣意的な部分が入って来る。

それによって被疑者がどんな不利益を被るかは、第三者には関係ないですからね。

吉岡:調書ってもの自体が、どの程度の信頼度になるんだと思うんだけど、裁判になれば大きな意味を持ってくる。

桑田:もちろん証拠に採用されればですけれど、調書は、大きな意味を持つ、信頼性の高い証拠となりますね。

吉岡:自白のみは証拠としない、というのが刑事裁判の原則だったはずですけどね。
無理やり持っていった自白に、かなり偏重してとらえられている。

桑田:殺人事件とか強盗事件とかの重大事件に関しては、自白調書を取られて後でひるがえす。冤罪でよくあるパターンですけれど、一旦調書にサインしたんだろう、ということで、なかなかひるがえしても認められない。

それほど重たいものだということですね。

吉岡:第一審が結審した。どうですか。

桑田:ホッとしましたね。

裁判進行中は、(法廷で)いろいろ発言の機会があるので、あんなことも言えるんじゃないか、とか、過去の証人に対して、ふと思い出して、そういえば、これに対してちゃんと反論していたかな、と、ものすごく心配になったりして。
いまは終わってしまって、もうどうしようもない、と諦めがつきました。
あとは判決を待とうと、かなり落ち着いていられる状態です。

吉岡:もう少しで結論が出ます。判決に予想はありますか?

桑田:吉岡さんがご覧になったような裁判の状況ですから、これは明らかに検察の主張は崩れている、と私個人は、思っているんです。

無罪、と思っています。

でも、そこが日本の刑事司法、というか、司法制度の闇があるところなんです。

この前も、岐阜県の美濃加茂市長の事件、一審無罪、高裁有罪。それがかなり問題があると言われながら、最高裁は、それを追認して有罪が確定してしまった。

あんな事件でも有罪になってしまう。あんな事件っていうのは、明々白々に無罪だと思われる事件でも、有罪になる。

だったら、何があってもおかしくない。

吉岡:裁判所と検察と人事交流があるから、弁護士よりも、裁判官は、検察に近いと言われる。

そうでなくても、日本の司法というのは、有罪率が、他国に比べて、異常に高いなんてことも言われている。

どういうことがあれば、検察の主張をくつがえして被告人は、無罪になるのかな。
そんなことを考えざるを得ない。

統計的には、そういう印象を持たざるを得ない。

桑田:いろんな方から話を聞くと、「最後は、運だ」ってことなんです。

「無罪を書ける裁判官にあたるかだ」っていうんです。

一生のうちにひとつも無罪を書かない裁判官もいる。そちらの方が多いらしいんです。

無罪を書く勇気って相当必要なんだそうです。ほんとかどうか知りませんが、無罪を書くと出世に響くと、まことしやかに言われている。

無罪であれば無罪、と書いてくれる裁判官に当たるかどうか。

その時点でオカシイですよね。

あとは弁護人の力です。

それと、被告人がどれだけ、きちんと自分の状況を弁護人に伝えられるか。

(弁護人は被告人の)代理人なので、包み隠さず、いろんなことを伝えて、一番いい戦略を立てる。

そのへんの複合要因です。

でも最後「言ってみれば運ですかね」というのが哀しい現実だと思います。

吉岡:桑田さんの裁判官は、無罪を書ける方だと思いますか?

桑田:思いますね。

無罪「も」書いたことがある人。

可能性はゼロではないなという人です。

被告人というのは、やはり、非常に弱い立場です。

あれだけ検察がボロボロになって、立証できていなくても、裁判官が代わりに立証するとか、ほんとうに検察に寄りかかっている裁判官もいる。

少なくともそんなひどい人ではないと思います。

西野さんという方なんですが。

最初のうちは、厳しい人かな、と思っていたんです。

こっちの言うことなんか聞いてくれないんじゃないか、と思っていたんです。

裁判が進むにつれて、事件の全貌がわかってきたんだと思いますが、きちんと話をきいてくれる態度が見えてきた気がします。

そういったことを総合的に考えると、きちんと無罪を書いてくれる可能性のある裁判官かな、と思います。

(第4回目につづく)

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ソサエティサイエンスジャーナル第548回 ゲスト出演